田中社長インタビュー

100年のものづくり、
次の100年へチャレンジ

SECTION 1
創業の精神を今へ受け継ぐ

創業者が100年前に創立したくろがね工作所の理念や志は、現在のくろがね工作所の企業姿勢にどのように受け継がれ、どのように事業の強みとなっているのでしょうか?

くろがね工作所の創業者三村和太郎氏は、大正6年にそれまで勤めていた「芝川商会」を辞し、鋼製家具や事務用品などの製造加工と販売を目的に「くろがね商会」を興しましたが、当初は機械設備が満足に揃っていなかったことから簡単な加工製品を手掛けるに留まっていました。

大正10年にアメリカのある銀行で使用されていた貯金箱にヒントを得て製作した「金のなる機」がくろがね商会最初のヒット商品となり、特に塗装面で評価を得て各方面から仕事が依頼されるようになりましたので、昭和2年に将来の躍進に備えて「くろがね工作所」に社名を変え資本の充実も図りました。

丁度その頃、日本事務器商会様(現日本事務器株式会社)から一覧式カード容器「バイデキス」の製作を受けることとなり、日本事務器商会様のご支援を得て本格的な切断機や折曲機の導入を図ることができ、鋼製家具の一貫生産体制が整いました。

こうさらりと言ってしまうと、順風満帆な滑り出しに聞こえますが、「金のなる機」も「バイデキス」も最初は多くの課題を抱え、品質面でも生産性の面でもとても満足のいくものではなかったと聞いています。そうした中で、三村和太郎氏は「コツコツと努力をする者には、必ず仕合せがおとずれる」との信念の下、「血のにじむ思いで加工技術の向上に努力」し、また、日本の鋼製家具の草分けである三菱長崎造船所に技術習得のために社員を派遣するなど、くろがね工作所が「他に負けぬ独自の技術を持つこと」に拘ってきたことで、当時「技術のくろがね」とまで呼ばれるようになったとのことです。

創業期と現在では社会環境も技術環境も大きく異なりますので、当時の加工技術がそのまま現在にも活きるわけでは当然ありませんが、三村和太郎氏の努力は必ず報われるとの信念と独自の技術を持つことが大切だとの考えは現在でも十分に通用するものであり、創業期の精神は当社のものづくりの現場に今も脈々と受け継がれていて、ものづくりメーカーとしての当社の強みになっていると考えます。

SECTION 2
時代の変化を成長の糧に

この100年はまさに激動の100年であると言えますが、くろがね工作所として、この激動をどのように乗り越え成長の力に変えてこられたのでしょうか。また、印象的な変革のターニングポイントのような事はあったのでしょうか?

昭和2年に本格的に鋼製家具事業に乗り出すために、くろがね工作所として名前も新たに再出発しましたが、タイミングとしては決して良いものではありませんでした。所謂昭和の金融恐慌の幕開けの年であり、当社の創立記念日である昭和2年3月の一か月前の2月には、東京の渡辺銀行で取り付け騒ぎが発生したのを皮切りに全国で22の銀行が休業に追い込まれ、新興財閥であった鈴木商店が倒産しました。

また、創立2年後の昭和4年にはニューヨーク株式市場で株式の大暴落ブラックサーズデイが発生し世界恐慌へと進んでいく中で、日本の景気も長期に低迷が続きます。そしてその後、日本は大陸進出を目指し軍国主義へと進み統制経済が強まるわけですが、特に鉄は軍事用に必需品であったことから鉄製品製造制限規則が発令され割当制となり、当社を含め鋼製家具業界各社は苦難の道を歩むことを余儀なくされました。

当社はそうした中、当社創立期から受注を受けていた軍用飯盒、水筒の塗装に加えて、バイデキスを始め逓信省から受注した職員用衣服箱(現在のロッカー)や配送作業台等で培った板金加工技術を活かし、木炭自動車ガス発生炉、消火器、軍用丸型ストーブ、携行用暖炉、携行用撥水缶、携行用沸水器、衛生滅菌機等、さまざまな物を製作し難局を乗り切りました。今当社が創立100周年を迎えることができるのは、この難局を創業者三村和太郎氏と共に創業メンバーが歯を食いしばって乗り切って頂いたからだと感謝しています。

戦後は細かい事を言えば山ほどありますが、煎じ詰めれば、昭和の間は高度成長期に乗り当社も事業、業容の拡大を順調に果たしましたが、逆に平成の時代に入ってからはバブルの崩壊、リーマンショック等の事業環境の大激変の中で、残念ながら当社グループは事業、業容とも停滞を余儀なくされました。
ただその中で、創立以来の板金加工を中心としたものづくりの技術、ノウハウを製造現場が確りと守り通してくれたのは、創業者を始めとした創業メンバーの「技術に生き、生産に生きた創業の精神」が現在のメンバーにまで確りと受け継がれてきたからだと考えています。

印象的なターニングポイントというご質問ですが、私自身は当社での業務経験が少ないものですから経験に基づいた視点で申し上げることはできませんが、経営的観点から当社の歴史を俯瞰しますと、当社はくろがね商会時の「金のなる機」を除きますと、ほぼ受注生産で戦後の一時期までやってまいりました。そう徹することでものづくりの技術を磨いてきたわけですが、業容が大きくなり生産設備の投資、人の増強を図る中で、受注生産だけでは生産設備、人員に余力が生まれてまいりました。

そうした事を背景に新分野で新規事業に大きく乗り出し、くろがねブランドを高めることとなったくろがね学習机による家庭家具市場への参入、四千以上の病院等に納品することになるアキュドアによる医療施設を中心とした建材市場への挑戦は、当社のマーケットインの力を飛躍的に高めたという点で、一つのターニングポイントであったと私は考えています。

SECTION 3
企業理念「人と環境にやさしい空間創造」が事業の背骨

くろがね工作所は、SDGsが企業の社会的責任そのものであると言われる随分前から「人と環境にやさしい空間創造」を企業理念として掲げてこられましたが、この事はくろがね工作所の企業価値向上にどのように役立ってきたとお考えでしょうか?

当社は本格的に鋼製家具の製造、販売を目的として、くろがね商会を興しくろがね工作所へと引き継がれたことは先程来申し上げてきた通りですが、当社の創立間もない頃のもう一つの生産の柱として空気清浄機があります。これは三村和太郎氏が役員を兼務していた理研鋼材株式会社の関係で、空気清浄機の製作とそれに付帯するダクト工事を引き受けたからです。

当時の紡績工場は「女工哀史」に綴られているように作業環境が劣悪であったことから、紡績工場の作業環境改善のために工場内に新鮮な外気を送り込むための装置として空気清浄機の製作を引き受けたものです。この事が契機となって、戦後に冷暖房機器、空調機のOEM生産事業を発展させて現在に至っています。

また、鋼製家具事業においては、戦後復興の中でオフィスの近代化が急速に進み、当社は時代のニーズに対応しつつキャビネット、オフィスデスク等の製造・販売に務めてまいりましたが、昭和48年に世界のオフィス家具業界をリードしてきた米国スチールケース社と、現在のケイ・エス・エム株式会社の前身である株式会社エス・ケイを合弁会社として設立したことを機に、スチールケース社の人間工学に基づく徹底した「人にやさしいチェア」作りを学び、その精神は現在も当社グループのオフィス家具事業に引き継がれています。

当社は、オフィス家具事業、空調機器事業に加えて、一世を風靡した学習家具事業、医療施設を中心とした建材事業の進展を踏まえて、昭和62年の創立60周年のときに、「快適にして、機能的かつ効率的な生活空間創り~空間創造」を社内外に当社企業理念として打ち出しました。そしてその後、どのような空間創造であるのかから、何のための空間創造であるのかに視点を移し、「人と環境にやさしい空間創造」へと企業理念を昇華させてきました。

この企業理念は、そのまま経営方針であり、企業パーパスとしても通用します。これは三村和太郎氏の「何とかして立派な製品を作り、世の中の方々によろこんで頂こうと、努力を尽くして来た」との思いが、当社の長年の具体的な事業展開の中で、言葉として精錬され収斂されてきたからこそ生まれた当社企業理念だと私は理解しています。 企業価値の向上には色々な要素が絡んできますが、SDGsは企業の社会的存在価値を向上させるものとして、企業価値向上の重要な一要素であることはご存じの通りです。

当社は業績的には今尚多くの課題を抱えていますが、当社創立以来100年の歴史を持つ当社の企業理念「人と環境にやさしい空間創造」を当社事業の中で商品、サービスとして具体化させ、その事が当社業績の改善、進展にも繋がれば、当社の企業価値は飛躍的に向上するだろうと私は期待しています。

SECTION 4
次の100年でくろがね工作所が目指す姿

次の10年、そして100年を展望したとき、くろがね工作所が「人と環境にやさしい空間創造」の企業理念を実現するために、どのような姿でどのような事業をお考えでしょうか?

当社は、過去における幾つかの新規事業の失敗から、新規事業を始めるとき、或いは新商品、新サービスを展開するとき、マーケティングに基づく説得力のある売り上げ見込みと間接経費、直接経費を含めた開発コストを基に新規事業等の蓋然性のある収支予測を立て、単年度収支黒字化、累積収支黒字化の見込み年数で新規事業等の可否を判定する新規事業・新規開発マニュアルを制定し、新規事業、新商品、新サービスの失敗リスクのミニマイズ化を図っています。

然しながら、同マニュアルの収支基準を満たせばどんな事業、どんなサービスでもやってよいのかと言うと、決してそうではありません。そこには当社の企業理念「人と環境にやさしい空間創造」に照らして、その事業、その商品、そのサービスが当社全てのステークホルダーの利益に適い、広く社会の役に立つものなのかどうかとの暗黙の歯止めがあります。加えて、くろがねの多くの先輩方により確立されてきた「くろがねブランド」の根底にある「丁寧なものづくり、丈夫なものづくり」の企業文化を損ねるものであってはいけません。

そう考えれば、社会の変化、技術の革新が速く、数年先の事業環境も中々見通すのが難しい現在、くろがねグループの経営リソースの現実的な制約に照らしますと、自ずと挑戦できる事業領域は限られてきます。
ニーチェの有名な言葉に「足下に泉あり」がありますが、当社が当面踏み込める事業領域はまさに足下、この百年の間くろがねグループが耕してきた事業領域だと考えます。但し、それはこれまでの事業領域に保守的に留まることを申し上げているのではありません。これまでの事業領域をベースにその周辺領域を耕していくこと、そしてこれまでの事業領域の深掘りをすること、この二つの事業開拓が今後当社が力を入れていくべき新事業、新商品、新サービスだと考えています。
具体的には、流石に100年先の事はともかく、次の10年の間には、当社の主力マーケットであるオフィス空間を中心としたワーカーが働く空間の流動化現象に対して、当社の商品、サービス或いはコンセプトで市場に一石を投じたいと考えています。

SECTION 5
目指す未来は社会とともに

100周年を迎え次の100年に進むにあたり、くろがね工作所のステークホルダーであるお取引先、お客様、株主、社員等に最も伝えたいことは何でしょうか?

当社はくろがねの名の通り、鉄をそれも板金である鉄を加工して、人が働き、生活する空間に、人と環境にやさしいと我々が考える製品、商品を届けてまいりました。その中には後から振り返れば反省すべき点が残る製品、商品もありましたが、その時点その時点では、三村和太郎氏の「何とかして立派な製品を作り、世の中の方々によろこんで頂こう」との思いを継承して、製品・商品、サービスを世に送り出してきました。
その変わらぬ姿勢があればこそ、創立期から今日までの100年の間、多くのステークホルダーの皆様から多大なご支援が賜れたものと、勝手ながら推察しております。この姿勢を、次の100年を担う当社の現職員、そして未来の職員へと確実に引き継がせていくことが、創立100年という節目のときに社長職を担った私に課せられた大きなミッションであると考えています。

そして、そのミッションを果たすために私がしなければならない事は「ひとづくり」だと考えています。当社はものづくりメーカーですので、ものづくりのための生産設備、生産技術、生産管理が重要であることは当然ですが、当社が現在得意としている特注品を中心とした少量多品種生産、変種変量生産は手作業、手管理に頼る部分が多く、ここのノウハウ、経験の蓄積が当社の強みの一つとなっています。但し、この強みは担い手の力量によっては直ぐに弱みに転化するリスクを孕んでいますので、当社における「ものづくり」は、「ひとづくり」と表裏一体で進めていかなくてはなりません。

当社には嘗て、戦後間もない昭和31年に業界に先駆けて社内に技能養成所を開設し、工場現場における基礎的な理論、技能を教育してきた「ひとづくり」の歴史があります。ここで育った人が後になってくろがねを卒業し独立したとき、養成所で学んだことがとても役に立ったとのお話を、私は何人かのその後継者の方から伺いました。
日本が誇ってきたものづくりの現場は今、長く続いた生産拠点の海外移転に加え少子高齢化の中で、後継者に悩んでおられるところが多くなっていると聞きます。当社が当社の「ものづくり」のために「ひとづくり」に力を入れることで、当社の嘗ての技能養成所のように、少しでも社会のお役に立つことができればと考えています。

いずれにしても、この100年がそうであったように次の100年も、多くのステークホルダーからご支援を賜りながら当社の企業価値を高めていくためには、当社は社会と共に進んでいくことが何よりも肝要であると考えています。